2016年11月16日
京都 新撰組も御用達のおもてなし♪
秋が来た♪と喜んでいたのも束の間…
京都では、
冬の足音の気配さえ感じるようになりました。
本日のブログは、
メイク • 着付けの森田が担当しまーす♪
さて…
今回ご紹介するのは、
京都島原にあります
「 角屋もてなしの文化美術館」です!
花街 島原…
東の吉原、西の島原とも呼ばれ有名な地名ですが、
由来は、花街の移転騒動が、
九州での島原の乱のようだったからだそう。
江戸期以来、京都の花街として発展した街でしたが、
明治に入ると非公認だった花街の祇園が栄えることに。
当時、
現在では、この文化美術館となった揚屋の「 角屋 」と
置屋の「 輪違屋 」
島原入り口の「 大門 」
歌舞練場の跡地の碑しか
往時の名残をとどめていません。
こちらの角屋、揚屋建築では日本唯一の遺構で、
まぁ、それはそれは!
とても広くて立派です!
揚屋とは、
現在の料亭や料理屋にあたるので
お泊まりするところは無く、
一階が台所や住人の居室で、
お客様は二階に揚がってもらうところからきているそうで、
太夫や芸舞妓の芸事を見ながら宴会を楽しむ大座敷、
広庭、茶席や台所を備えているのが特徴です。
舞や音曲、お茶、お花、
「 太夫 」が芸事を披露しお客様を楽しませた場所。
そういった芸事が必要とされない娼姑の最高位「 花魁 」
がいた吉原などの遊廓にある建物とは、
二階は撮影不可で、
一階部分とは別に特別拝観料が必要ですが、
円山応挙の襖絵や、
浅葱色の九条土を用いた壁や一面に螺鈿細工を施した部屋などなど
当時の名工達が作り上げた圧巻のお座敷の数々。
また、二階はガイドさんの説明付きなので、ぜひ♪
そして…
新撰組の屯所があった壬生が近く彼らも御常連だったそうで、
新撰組が斬り付けたという刀跡も残っていますよ。
歴女の皆さんも、
新撰組所縁の地を巡る中の一つにどうぞ♪
豪華絢爛な欄間や天井、障子や建具を見ながら、
400年近く前の華やかな宴に想像にふけってみてはいかがでしょ
角屋もてなしの文化美術館